山車百輌総揃 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





第24輌:彦州組日之出車:西成岩地区:半田市

半田市 西成岩地区 彦州組日之出車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
成石神社への坂上げ???
創建年
大正13年
大正4年から各地区からの旧材を用いて建造
主な彫刻
壇箱 「桃園の三英傑」(初代彫常)
脇障子 「竹に虎」(岩田冬根)
持送り 「黄初平仙人」(初代彫常)
大幕 緋羅紗地の無地
追幕 白地に雲と龍の金刺繍
水引 白羅紗地の無地

半田博物館 展示解説より

彦洲地区について

  • 西成岩の出郷で、水田が広がり、丘陵では酪農が営まれる農業地域
  • 人口は昔から少ない。
  • 津島神社にある明治40年4月建立の常夜灯に当時の戸数25軒が刻まれている。

祭礼について

  • 成石神社への奉納と山車の町内曳きを中心に行われている。
  • 山車の起源は定かではないが、当初は小型の山車を曳いていたらしい。
    (大正4年 榊原庄太郎氏より寄進の申し出があったので その車を西阿野へ売却し、各地区の旧材を用いて新しい山車を完成させたという歴史がある。)

cf:戸数の少ない彦洲の人々にとって、新しい山車の完成は宿願であり、その喜びは想像にあまるものであった。そのため完成の際、人々は日の出車を曳いて御大典の祝歌を歌いながら遠く成岩の榊原庄太郎氏経営の尾張製粉会社までお礼に行ったという。彦洲の車を日の出車というのは、あるいは大正天皇御大典の歌の『昇る朝日』に由来しているのかもしれない。

山車について

  • 昭和24年頃に、幾度の修理を経て現在の形になった。
    (亀崎田中組から上山などを譲り受け大修理)

彫刻について

初代彫常(新美常次郎) 明治45年

  • 壇箱 『桃園の三英傑』
  • 脇障子 『黄初平仙人』

岩田冬根 昭和26年

  • 蹴込 『牡丹に唐獅子』
  • 持送り 『竹に虎』

幕について

  • 大幕 緋羅紗の無地
  • 水引 白羅紗の雲龍
  • 追幕 緋羅紗に扇鈴の刺繍

第23輌:西組敬神車:西成岩地区:半田市

半田市 西成岩地区 西組敬神車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
成石神社への坂上げ???
創建年
明治年間
現車は明治11年建造
大正、昭和、平成にかけ改造を重ね、現在に至る。
主な彫刻
壇箱 「鵺退治」(瀬川治助重光)
脇障子 「神功皇后」(初代彫常)
持送り 「力神」(初代彫常)
大幕 緋羅紗地の無地
追幕 緋羅紗地に烏帽子と鈴の刺繍
水引 白羅紗地に飛龍の金刺繍

半田博物館 展示解説より

西成岩の祭礼は、毎年4月の第2日曜日、山車の町内曳きと成石神社の境内において、神楽・巫女舞・からくり三番叟の舞の奉納と中心に行われる。

成石神社は、尾張国知多郡誌によれば、『成岩村字狐塚ニ在リ境内五百六十四坪天穂尊大己貴尊小彦名命ヲ合祀ス近世八幡大明神ヲ神殿トス(尾張誌)、創建詳ナラス本村旧八幡社ニ座アリ一ハ字宮廻間一ハ字南瀬古ニ在リ明治五年氏子互ニ其奉仰スル所ノ八幡社ヲ以テ本国帳所載ノ従二位成石天神トシ争ヒ決セス糠田県命シテ其神体ヲ合セ神殿ヲ新造シテ之ヲ今地ニ移シ改称ス九月郷社ニ列セラル祭日十月十五日境内社弐(天神社・熊野社)氏子八百八十八戸アリ』とある。また成岩町史によれば、明治42年に現在地に移され改めて郷社になる。

山車は西組敬神車と彦洲組日之出車の2輌である。西組敬神車は、明治11年(1878)建造され、大正3年大改造を行い現在の形となった。彫刻は、名古屋の瀬川治助重光作の壇箱『鵺退治』、野々垣清太郎作の持送り『力神』、初代彫常作の蹴込『竹に虎』脇障子『神功皇后』等である。

大幕は、緋羅紗の無地、水引は、白羅紗地に波と波頭・飛龍の金刺繍、下絵師『正池』の繍がある。『正池』は、初代彫常(新美常次郎)の別名である。

宮本車である敬神車は、前壇において、からくり三番叟の舞を成石神社に奉納する。


第22輌:砂子組白山車:協和地区:半田市

半田市 協和地区 砂子組白山車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
白山神社への坂上げ(かなりきつい坂らしいが!)
創建年
明治年間
現車は大正3年建造
(旧車は亀崎石橋組から譲渡されたもの。武豊市原へ売却)
主な彫刻
壇箱 「三国志」(初代彫常)
脇障子 「関羽と張飛」(初代彫常)
持送り 「角つなぎに五三の桐」(初代彫常)
大幕・後幕 金文字刺繍
追幕 青地に雲と鶴の刺繍
水引 白羅紗地に松と鷹の刺繍

半田博物館 展示解説より

白山神社の祭礼に曳き出されるのが、協和地区の砂子組白山車と西組協和車の2輌である。半田地区に接する協和地区は、近世に入って成岩地区の出郷(枝村)として発展した地区で、戦前までには『北荒居』(きたらい)と呼ばれていた。成岩本郷からみて北方にあるからであろう。

白山車は宮本車であるが、山車本体は建造年代は不明であるが、彫刻が入って、現在の形が整ったのは大正2年である。

蹴込みの浦島太郎、持送りの角つなぎ、五三の桐、壇箱の三国志演技などの主要彫刻は初代新美常次郎の作であるが、前山懸魚の籠は亀崎石橋組より譲り受けたもので、瀬川治助重光の作。上山高欄の水鳥は最近施したものである。その他は台輪を含めて、欅・紫檀・黒檀等の唐木を用いている。

宮本車であるので、地元の小学生操り、三人遣い三番叟を演ずる。人形の持ち方は文楽人形に似ていて、主遣いが胴串と右手の扇子、左手遣いが胴枠と左手、足遣いが両足を受け持つ。囃子は上半田地区から伝承されたという。

白山神社祭礼の見どころは、急坂を曳き上げて神社の境内へ曳き込む『坂の曳き上げ』である。両組の曳き手が互いに力を貸し合って、一気に坂を上る様子は極めて勇壮である。


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