資料集 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





はんだ 交通の発達

三河と伊勢を結ぶルート

知多半島の交通
・三河⇒英比湊か小河湊へ渡り、半島を横断して⇒大野港⇒伊勢
・三河⇒成岩⇒常滑大野⇒伊勢
このルートは、当時、知多全域を治めていた一色氏が積極的に発展させたとされる。
(大野を治めることで、急激に一色氏は勢力をのばしていていった)


はんだ 村の発展

人口

昭和12年に半田町・亀崎町・成岩町が合併し半田市となったのだが、成岩町自体も明治22年(1890)に町制をしかれたあとに作られた町であり、それ以前は成岩村とされ、贄代郷の常滑領に属していた。しかし、尾張志(天保14年 1843)によれば、成岩村は本郷と「板山」「西成岩」「北荒井」の三枝邑を有すると記されている。

成岩村手鑑、半田市誌によれば、

寛文11年(1671)
戸数 365戸
人口 3063人
元禄6年(1964)
家敷 590軒
人口 3445人

現在の成岩3区のある場所はほとんどが海(下記参考)で、神社、南憩いの家、無量寿寺、波寄神社のライン沿いに浜であったため人は住んでいなかった。新田の改修により他からの移住者が増えた。

享保9年(1725)
家敷 760軒
人口 4208人
文政5年(1822)
戸数 1076戸
人口 4945人
人口12,938人
昭和8年
戸数 2771戸
人口12,938人

参考:武豊町字馬場から本町字保示田、内濱田、東西馬場から長沼、青木、天神田の一部、東西神田の一部、大畑、仲奥、蓮根、宮前の一部、西家下、南瀬古の一部、南家下、寺坊より中島に至る一帯の低地は昔は海水が浸入していたところである。(成岩町史より)

新田の開拓

新田の開拓
明治23年にできた成岩町は、板山 西成岩・彦津 馬場・南組 北村 北荒居(現在の協和)の5区で区切られている。明治4年廃藩置県が行われた。


半田博物館 「からくり」 資料 列品解説より

乙川祭礼山車絵図

この絵図は、宝暦五年(1755)尾張藩からの触状によって作成されたもので、
当時の祭礼行事と御輿や山車の古い様式を伝えるものである。

“半田市 乙川八幡社蔵”

八幡宮祭礼式の図

乙川祭礼山車絵図と同種のもので、宝暦五年(1755)の御輿渡御の様子を示す。

“知多市 尾張八幡神社蔵”


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