はんだ 交通の発達
三河と伊勢を結ぶルート

・三河⇒英比湊か小河湊へ渡り、半島を横断して⇒大野港⇒伊勢
・三河⇒成岩⇒常滑大野⇒伊勢
このルートは、当時、知多全域を治めていた一色氏が積極的に発展させたとされる。
(大野を治めることで、急激に一色氏は勢力をのばしていていった)
michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。

・三河⇒英比湊か小河湊へ渡り、半島を横断して⇒大野港⇒伊勢
・三河⇒成岩⇒常滑大野⇒伊勢
このルートは、当時、知多全域を治めていた一色氏が積極的に発展させたとされる。
(大野を治めることで、急激に一色氏は勢力をのばしていていった)
昭和12年に半田町・亀崎町・成岩町が合併し半田市となったのだが、成岩町自体も明治22年(1890)に町制をしかれたあとに作られた町であり、それ以前は成岩村とされ、贄代郷の常滑領に属していた。しかし、尾張志(天保14年 1843)によれば、成岩村は本郷と「板山」「西成岩」「北荒井」の三枝邑を有すると記されている。
成岩村手鑑、半田市誌によれば、
現在の成岩3区のある場所はほとんどが海(下記参考)で、神社、南憩いの家、無量寿寺、波寄神社のライン沿いに浜であったため人は住んでいなかった。新田の改修により他からの移住者が増えた。
参考:武豊町字馬場から本町字保示田、内濱田、東西馬場から長沼、青木、天神田の一部、東西神田の一部、大畑、仲奥、蓮根、宮前の一部、西家下、南瀬古の一部、南家下、寺坊より中島に至る一帯の低地は昔は海水が浸入していたところである。(成岩町史より)

明治23年にできた成岩町は、板山 西成岩・彦津 馬場・南組 北村 北荒居(現在の協和)の5区で区切られている。明治4年廃藩置県が行われた。