成岩町史 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





日本神話 成岩地区の神社の神様 成岩町史 書物編 その参

成岩地区の神社

神社を紹介するにあたって、神様の名前見たって意味が分からないのでとりあえず…日本神話より登場人物紹介します。 簡単にね、簡単に。

イザナギ(男・兄)、イザナミ(女・妹)、この二人から神生み・国生みが始まる。たくさんの神々を生み、日本を形作っていく。石・木・海・水・風・山・野・火の森羅万象の神も生む。火の神カグッチを生む際にイザナミは火傷で死んでしまう。イザナギはイザナミを追い黄泉の国へ行くが、腐敗し、雷(いかづち)の乗ったイザナミの死体を怖がり、追いかけてくるイザナミから逃げ、イザナミと離縁する。

黄泉の国から帰ったイザナギは禊を行った際に、右目から「ツクヨミ」、左目から「アマテラス」、鼻から「スサノオ」を生んだそうだ。これで神生みは終わりらしい。

月読命(つくよみのみこと)は、性別に関する記述はなく、月を神格化した姿なので天照大神とは対。夜を治める。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は、女神で太陽を神格化した姿。高天原治める。(伊勢神宮)

素盞鳴尊(すさのおのみこと)、牛頭(ごず)天皇と習合。男神。海原を治める。(津島神社 他に奉られている)

素盞鳴尊が天照大神の御統玉(みすまろのたま)を請いうけて、これをかんで吐き出された息から化生した神が八柱(五男三女神で所請八王子様である)ある。なんだか二人は誓約をしたそうだよ。

  • 天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)
  • 天穂日命(あまのほひのみこと)
  • 天津彦根命(あまつひこねのみこと)
  • 活津彦根命(いくつひこねのみこと)
  • 熊野橡樟日命(くまのくすびのみこと)
  • 多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
  • 湍津姫命(たきつひめのみこと)
  • 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

きりがないからここまでね。
そうそう、日本武尊ってヤマトタケルノミコトって読みます。

郷社 成石神社 天穂日尊 少彦名命 誉田別尊 素盞雄命
大己貴命 日本武尊
成岩町字宮前 氏子は257戸 四月十三日
  御鍬社 猿田彦命 春日社 武甕槌命
  山神社 大山祗命 稲荷社 稲倉魂命
  熊野社 伊弉諾命 天満社 菅原道真公
村社 成岩神社 誉田別尊 天津兒屋根命 豊受姫命  
成岩町字南瀬古 氏子は北村・南組・東馬場・西馬場 1200戸 例祭は古来六月十五日であったが、炎暑の時候だとて、四月十五日変更された。
  松尾社 大山咋命 御鍬社 猿田彦命
村社 白山神社 菊理姫命      
成岩町字白山 氏子740戸 例祭は五月六日
  龍神社 豊玉姫命 大神神社 豊受姫命
  龍神社 豊玉姫命 大神神社 豊受姫命
  山神社 大山祗命 秋葉社 味鋤高彦根命
  天王社 素盞雄命    
村社 板山神社 天津兒屋根命 天照大神 應進天皇  
成岩町字五本木 氏子250戸 例祭は四月十六日
  山神社 大山祗命    
村社 八幡社 誉田別尊      
成岩町字大廻間 氏子120戸 例祭四月十六日
  山神社 大山祗命 若宮八幡社 仁徳天皇
波寄社 素盞鳴命      
成岩町字天王瀬古 例祭六月十五日
  秋葉社 味鋤高彦根命 琴平社 大物主命
若宮八幡宮 仁徳天皇      
成岩町字若宮 例祭八月十五日

知多半島 成岩各地の名称 成岩町史 書物編 その弐

五郷知多半島郡位置
さらに過去にさかのぼって、知多郡は神龜二年(西暦725年)に、本郷を 『蕃賀(はんが)郷』、『贄代(にえしろ)郷』、『富具(ふぐ)郷』、『但馬(たじま)郷』、『英比(あぐい)郷』の五郷としている。成岩はこの「中贄代郷」(半田から河和が含まれるようだ)に属している。
参考:尾張の国は八つの郡に分かれていた。
丹羽、葉栗、中島、海部、春日部、山田、愛智、知多
左は知多五郷推定図である。

贄代郷 神龜二年(西暦725年)
常滑領
  • 「北條」
  • 「瀬木」
  • 「常滑」
  • 「半田」
  • 「成岩」
  • 「垂水」
西枳豆志領
  • 「西阿野」
  • 「熊野」
  • 「小場」
  • 「檜原」
  • 「刈谷」
  • 「小鈴谷」
  • 「坂井」
  • 「廣目」
  • 「市原」
東枳豆志領
  • 「布土」
  • 「富貴」
  • 「東大高」
  • 「大足」
  • 「長尾」

尾張志では、本郷を二十四荘に分け、成岩は常滑庄の一村とされた。この時点では、「北荒居」、「西成岩」、「小板山」の三枝邑を有していると記されている。

成岩名称の由来
奈良浪殿 説
贄代郷は伊勢神宮に隷属していた。そして伊勢神宮の橋を渡って北に政所があった。その管理者が奈良浪殿であった。
奈良志村 説
万葉集中の和歌に「奈良志丘」大和龍田川東岸と読まれた。
鳴岩 説
英比川の埴土押し流されて岩につきたる地を「岩滑」と呼び、その下流に落ち入るところの岩に濁れて鳴る地を鳴岩と呼びたるなるべし、奈利伊波をつづめて奈利波となるを、また利を良に通わせて奈良波と呼ぶ
鳴浪 説
成岩城の腰から鳥出山の下は海水が浸入して、遠く板山邊までに及び、鳴動が甚だしく、鳴波と言ったのが、後に成岩に改められたのではないか。
「成岩は奈良輪なり」 説
地名辞典より。
成岩各地の名称の由来
板山
昔は本村から毎日工作に出かけていたのだが、その往復が困難なため板葺小屋をかけて住居するようになったらしい
瀬古
無量寺あたりは一つの丘陵で貝塚のあるべき地位である。前方に洲があって向山といっている。元は遠浅の瀬であったに違いない。コは沙という意味である。
粕江
小学校付近から東北、北薬師より北荒居に到る海岸をいう。これは貝殻を焼いて石灰を製造したところである。
塩垂
今の郷社(成石神社)の西に塩垂川があって、その付近を塩垂といっている。昔、塩田であったことをしめしている。
城ノ腰
榎本了圓(僧)の居城に因んだ名である。
長薮
小学校から第五区入り口に到る蕉県道の高付近をいう。往古榎本了圓が矢ガラに使用するために植えた竹薮の名残だといっている。
寺坊、寺内
無量寿寺が三河から引っ越してきたときにできたものだという。
任坊山
昔、奇僧覺明和尚のいたところである。
札之辻
字北家下県道東であって、昔から掲示場であった。
メモ

どうでもいいことかもしれないけど、昭和7年に知多鉄道(現在の名鉄に合併される)成岩駅が設けられることになった。北に半田駅、南に河和駅とはまさに名鉄河和線じゃないか…このときの記録によれば、わずか22分で名古屋駅に達したそうな。いまより早いよ…ほんとかな、この話。いまの時計と違ったのかな?


成岩町五区制 成岩町史 書物編 その壱

半田市は昭和12年までは 知多郡半田町・亀崎町・成岩町に分かれており、その頃成岩の様子をうかがい知ることのできる成岩町史(昭和11年発行)という書物がある。今後の大いなる資料としてぜひ取り上げておきたい。

成岩町史には、巻頭に建造物や風景の写真が載っている。

  • 成岩町役場
  • 郷社 成石神社
  • 村社 成岩神社
  • 村社 白山神社
  • 村社 八幡神社
  • 村社 板山神社
  • 天龍山 常楽寺
  • 羽塚山 無量寺
  • 篠島山 安養寺
  • 鳥出観音堂
  • 成福山 大昌寺
  • 青龍山 雲澤寺
  • 成岩第一尋常高等小学校
  • 成岩町立公民青年学校
  • 成岩第二尋常小学校
  • 成岩幼稚園
  • 忠魂碑
  • 公札(×3)
  • 『野荒し もの 村方 巳己明治二年』と書かれた角柱
  • 御用木
  • 御用木の碑
  • 成岩城址
  • 成岩ヶ浜
  • 成岩港
  • 新縣道
  • 神戸橋より成岩橋を望む
  • 成岩公園(ラジオ体操をしている)
成岩町五区制 (明治22年市町村制)

成岩町五区制

メモ

成岩町史は昭和11年発刊の書物だが、さらに古い『成岩村手鑑』(元禄六酉年 荒尾六右衛門書上書と書いてあるが、意味が分からない)というものがあるようだ。成岩村から成岩町になったのは明治23年12月17日だとされている。

成岩町の位置

東経136度52  北緯34度522


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