2008 8 月 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





第9輌:田中神楽車:亀崎地区:半田市

半田市 亀崎地区 田中組神楽車尾張の山車まつり 管理人novaさま ご提供

祭礼日
5月3、4日
見所
海浜への山車の曳き下ろし
調子のよい 軽快な祭り囃子
創建年
天明8年以前
現車は天保8年 建造
(旧車は 碧南大浜へ譲渡)
主な彫刻
壇箱 「鉄拐仙人・蟇仙人・花鳥」(立川常蔵昌敬)
脇障子 「三国志 関羽・超雲・阿斗」(立川常蔵昌敬)
持送り 「波に亀」(立川常蔵昌敬)
大幕 緋羅紗地に牡丹と唐獅子の刺繍
追幕 緋羅紗地に桜と孔雀の刺繍
水引 雲と霞と蝶の金刺繍

半田博物館 展示解説より

潮干祭りについて

5輌の山車(東組宮本車・石橋組青龍車・中切組力神車・田中組神楽車・西組花王車)を曳き回す。各山車は、素木彫刻や幕等の装飾やからくり人形を有し、県指定文化財である。 

亀崎のからくり人形について

半田市内山車の内19輌の山車において27体(亀崎西組の『石橋』も含む)のからくり人形がある。

  • 亀崎地区には、11体
    • 東組 上山人形『湯取神事』、前山人形『三番叟』
    • 石橋組 上山人形『唐子遊び』、前山人形『布ざらし』
    • 中切組 上山人形『浦島』、前山人形『猩々の舞』
    • 田中組 上山人形『傀儡師』、前山人形『巫女の舞』
    • 西組 上山人形『桜花唐子遊び』、前山人形『神官』と『石橋』
  • 田中組の上山人形『傀儡師』は、天明年間(1781~1789)に製作
  • 傀儡師人形が、船弁慶を演じる糸からくり
  • 前山人形『巫女の舞』の製作者は不明。(文化文政年間に製作)

cf:傀儡師とは、江戸時代、首から箱を下げ胸のところで木偶人形を操った大道芸人である。この種のからくりは、摂津名所図絵の中に、船弁慶の一場面が描かれている。からくりの全国調査を行った山崎構成氏は、『唯一の曳山奉納戯である』と言っている。 

山車について

  • 創建年代は、定かではない
  • 旧車は、中ノ切組(碧南市大浜)に譲渡された。(天明8年(1788))
  • 岸幕善兵衛が建造(天保8年(1837))
  • 諏訪の立川和四郎富昌、常蔵昌敬が彫刻を付けた。

彫刻について

  • 立川常蔵昌敬
    • 蹴込『唐子遊び』
    • 持送り『波に亀』
    • 壇箱『蟇仙人、鉄拐仙人、花鳥』
    • 脇障子『三国志、関羽、超雲と阿斗(劉備)』
    • 太瓶鰭『獏』
    • 前山懸魚『太真王文人、波と龍』
  • 立川和四郎冨昌
    • 前山蟇股『三国志、張飛、劉備、関羽(桃園の誓い)]、『粟穂に鶉』等

幕について

  • 大幕 緋羅紗に牡丹と唐獅子の刺繍
  • 追幕 緋羅紗に桜と孔雀の刺繍
  • 水引 雲と霞と蝶の金刺繍

cf:大幕、追幕、水引の下絵は、福田翠光画伯筆である。

半田博物館発行「からくり」より

上山人形『傀儡師』

天明年間の記録によれば、上山人形は、乱杭渡りであった。現在は、傀儡師が、『舟弁慶』の人形を操っている場面を演じる。製作年代は、天明年間とされる。製作者は不明。

前棚人形『巫女の舞』

製作年代は、文化文政年間とされる。製作者は不明。


第8輌:浅井山宮本車:乙川地区:半田市

半田市 乙川地区 浅井山宮本車
半田市 乙川浅井山 宮本車 壇箱

祭礼日
3月下旬の土日
見所
八幡社境内の豪快な坂上げ 坂下ろし
けんか祭りの異名あり!
創建年
現車は安政6年 建造
昭和25年に 大改造
主な彫刻
壇箱 「竹林七賢人」(立川和四郎富昌)
脇障子 「布袋和尚喜捨之図 福禄寿福履之図」(立川角三郎 音吉)
持送り 「力神」(初代彫常)
大幕 緋羅紗の無地
水引 雲竜文様の金糸刺繍 (下絵 鬼頭 道周)

半田博物館 展示解説より

乙川村祭礼山車絵図について

  • 宝暦5年(1755)
  • 乙川八幡社に保存されている。
  • 先頭は獅子、その後に神輿(みこし)とそれと供奉して神主、二人の庄屋、組頭が四人、差樽とつづき、その後に4輌の山車がくる。
  • この行列は、山車は神輿の警固(警護)であることを示している。
  • 乙川村では宝暦2年(1752)正月に祭礼の法式を改革して『定』を作成している

『定』・『祭礼定日之事』として
『唯今之通正月十五日十六日若雨天亦ハ如何様之指支出来仕候ハヽ指延シ置始楽本楽両日急度相勤可被申被』とある。乙川村の祭礼の定日は旧暦正月十五日、十六日であった。絵図に描かれた4輌の山車の先頭を行くのが浅井山宮本車である。上山には『小鳥丸夢の助太刀からくり人形』を乗せている。宮本車というのは、地縁によって分割した山車組の地域の中に氏神が所在地を含まれている場合に付けられる名称である。従って巡業の際は山車の先頭を行き、前山で三番叟を奉納する。

 浅井山宮本車の壇箱彫刻『竹林七賢人』は安政6年(1859)に立川和四郎富重が彫ったものである。脇障子の『牛若丸烏天狗』前山懸魚『牛若丸烏天狗』はともに地元乙川の彫師である立川和四郎の弟子立川角三郎が安政6年(1859)に彫ったものである。持送りの力神は大正11年に蹴込みの『舟遊び』は昭和25年に初代新美常次郎が彫ったものである。


第7輌:南山八幡車:乙川地区:半田市

半田市 乙川地区 南山八幡車

祭礼日
3月下旬の土日
見所
八幡社境内の豪快な坂上げ 坂下ろし
けんか祭りの異名あり!
創建年
宝暦以前
現車は宝暦年間 建造
大正6年に改造
(宝暦5年に製作した旧車は 美浜町河和に売却)
主な彫刻
壇箱 「桃園の三傑」(初代彫常)
脇障子 「須佐之男命 稲田姫」(初代彫常)
持送り 「昇り龍」(初代彫常)
大幕 緋羅紗の無地
水引 白地に群鳩飛翔

半田博物館 展示解説より

乙川の祭礼は、毎年3月下旬、乙川地区の氏神である八幡社と若宮社への山車の奉納と町内曳きを中心に行われている。

八幡社の起源は、定かではないが、棟礼によれば、大永2年(1522)8月に再建され、『入水上社』と言われていた。寛永元年(1624)11月の造営時には、『入水八幡宮』、文政9年(1826)の本殿造営時には、『八幡宮』、明治13年(1880)の拝殿の再建時には、現在の『八幡社』と言われていた。祭神は、文政9年(1826)戌10月の文書によれば、神功皇后、応神天皇、田心姫命、市拝嶋姫であった。大正4年(1915)現在の白山公園の白山社が合祀され連玉之男命、子象母津事解之男命、菊理姫命を加えた。

南車の山車は、宝暦5年(1755)の乙川村祭礼絵図に浅井山・殿海道山の山車に次ぎ現在と同様3番目を巡行している所が描かれ、上山には、『役正角大峯様からくり人形』(乱杭渡り)が飾られている。旧車は、美浜町河和中組に譲渡されたといい宝暦5年の銘がある。しかし、絵図に描かれている山車とは、大きく異なるので、この銘が建造の時期を示すかどうかは、疑問である。譲渡時期については、定かではないが、一説には慶応の頃とされている。このことから、現在の山車の建造年代は、明治初期ではないかと考えられている。

乙川の祭礼の中に、龍神祈祷と言う行事があり、この時南山は重要な役割を果たす。山車の巡行が終り、各組の山車をサヤに納める前に、南山単独で入水天神に神官が祝詞を上げ祭礼が無事終了したことを報告する行事である。この祈祷が終了した後、各組の山がサヤに納められる。

彫刻は、地元半田の彫師新美常次郎の蹴込『牡丹に唐獅子』、壇箱『桃園の三傑』、脇障子『須佐之男命』、『稲田姫』などが施されている。昭和60年には、高蘭を黒檀にした。

大幕は、緋羅紗の無地である。水引は、白地に群鳩飛翔、青海波(青色)、鳩(白・黒)、雲(紺色)の刺繍である。なお、寛政から文化の頃にかけて建造された旧車のものと思われる大幕が保存されている。


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