2008 8 月 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート- - Part 2

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





第6輌:西組御福車:岩滑地区:半田市

半田市 岩滑地区 西組御福車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
新美南吉の童話の中で紹介されたお祭りがコレ!
創建年
喜永5年以前
現車は大正7年 建造
(喜永5年に建造された旧車は 板山小板組に売却)
主な彫刻
壇箱 「七福神」(初代彫常)
脇障子 「張良と黄石公」(初代彫常)
持送り 「三角板」(初代彫常)
大幕 緋羅紗に鯉の滝登りの刺繍
追幕 緋羅紗に岩上の鷹の刺繍
水引 黒地に龍の金刺繍

半田博物館 展示解説より

祭礼について

  • 祭礼は、毎年4月の第二土曜日、日曜日の2日間
  • 八幡社において、からくり三番叟、神楽、巫女の舞等の奉納と町内曳き

八幡社について

  • 八幡社は、岩滑で唯一つの旧村社
  • 祭神は、『応神天皇、神功皇后、市杵島姫命、多岐津姫命、多岐理姫命』

cf:『八幡社は元和2年(1616)、神明社(すぐ隣)は元和4年(1618)の棟礼を最古とする。』(半田町史より)
cf:『元神明社が本社なりしが、中山勝時の岩滑を領せし時伊勢神宮の御師初穂の徴収に来れるより、中山氏之を忌み、自ら一寄進を以て八幡社を建設し、以て其初穂を謝絶せり」(中山家旧記より)

巫女舞について

  • 巫女の舞は、昭和32年ごろから中止されていた
  • 昭和57年度、はやし保存会を中心に復活することとなった。
  • 巫女神楽は、義烈組が『宮神楽』、西組が『立神楽』(舞方は、やや勇壮)
    (それぞれ4番まで、15歳から20歳までの若衆が演奏する。)

囃子について

    西組の囃子

  • 岩滑新田の奥組に伝わり、三番叟と神楽は阿久比の植村のものと酷似しているらしい

義烈組の囃子

  • 上半田北組から伝えられたとされ、岩滑新田平井組へ伝えた。
  • 三番叟と神楽は阿久比の大古根村のものと酷似していたらしい

山車について

  • 大正年間他地区の山車を買い入れ、改造したものである。

彫刻について

  • 大正年間初代彫常(新美常次郎) 壇箱『七福神』、脇障子『張良と黄石公』、蹴込『竹に虎』、前山懸魚『松に鷹』等

幕について

平成5年度、山車改修事業として、一新

  • 赤フェルト地に瀧を登る鯉、岩場と松、榊、の刺繍(平成5年度山車改修事業)

第5輌:義烈組八幡車:岩滑地区:半田市

半田市 岩滑地区 義烈組八幡車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
新美南吉の童話の中で紹介されたお祭りがコレ!
創建年
天明元年以前
現車は喜永2年 建造
大正7年から8年間かけて大改造
主な彫刻
壇箱 「猪と仁田四郎 虎と和藤内十二支」(出羽看龍)
脇障子 「節分の図」(出羽看龍)
持送り 「角つなぎ」(初代彫常)
大幕 緋羅紗地に親子龍の刺繍
追幕 緋羅紗地に竹・虎の刺繍
水引 緑地に群鳩飛翔の刺繍

半田博物館 展示解説より

岩滑は、北部を阿久比と接する位置にある。

祭礼について

  • 祭礼は、毎年4月の第二土曜日、日曜日の2日間
  • 八幡社において、からくり三番叟、神楽、巫女の舞等の奉納と町内曳き

祭礼の歴史について

  • 天明元年(1781)には山車の祭礼が行われていたようだ。

cf:『年々六月十日ハ疫神祭礼相勤八月十五日ハ往古より当社八幡宮之御祭礼右両度共ニ山車并俄狂言執行到来リ候』(中組(義烈組)若連中からの口上書より 天明元年 1781)

  • 江戸時代には中組、西組、東組の3組に分かれていた。
  • 明治に入り中組と東組が合併し義烈組になった。

若衆組織について

  • 初午がくると、その年に15歳になる者は、半強制的に入組して若衆となった。
    (披露して酒二升を納めることになっていた。)((義烈組規則書より))
  • 入組して27歳までが若衆、28歳以上は年寄
  • 入組してから山車楫棒にとまれるまでの2~3年は、見習いとして小若衆

cf:明治30年から、昭和33年までの組員の入組時の連盟血判帳が、宝暦4年の『申合一礼之事』、明治25年改正の『総則』、年代不詳の『義烈組組規約』とともに綴られ保管されている。

山車について

  • 嘉永2年(1849)に造られたといわれる。
  • 大正2年4月3日半田町の石堂喜市に改築を依頼し現在の形になった。

彫刻について

  • 出羽看龍(半田市で唯一) 壇箱『猪と仁田四郎、虎と和藤内、十二支』、脇障子『節分の図』
  • 尾張藩御用彫師早瀬長兵衛 蹴込『子供獅子舞図』
  • 初代彫常 前山蟇股『鉄拐仙人、蟇仙人』

幕について

平成5年度、山車改修事業として、一新

  • 赤フェルト地に、『親子龍』の刺繍
    (静岡県大須賀町三熊野神社の『子持ち龍』 参考)
  • 追幕 『竹に虎』
  • 水引 『群鳩飛翔』

第4輌:東組旭車:成岩地区:半田市

半田市 成岩地区 東組旭車 半田 協和 加藤様より

祭礼日
4月第2土日
見所
成岩神社への打ち込み
善六角の出会い・曳き別れ
創建年
弘化3年
大正11年 上半田北組から譲渡された山車を改造して現在に至る(立川和四郎富昌の彫刻作品は残して)
主な彫刻
壇箱 「唐子遊びと鶏」(立川和四郎富昌)
脇障子 「鉄拐仙人・蟇仙人」(立川和四郎富昌)
持送り 「龍」(初代彫常)
大幕 緋に三玉の亀の刺繍
追幕 波に日の出の刺繍
水引 濃緑地に鶴の金刺

半田博物館 展示解説より

大正11年より上半田北組より山車の譲渡を受け、以後祭礼に山車を加えることとなった。しかし、上半田北組の旧車は弘化3年(1846)の建造であるため、その後まもなく立川和四郎富昌の壇箱彫刻”唐子遊びと鶏”、脇障子彫刻”鉄拐仙人・蟇仙人”等 数点をはずし、改造した車体にそれらを取り付けた。その後更に初代彫常こと新美常次郎によって前山蟇股の”恵比寿・大黒”、持送りの龍などが追加され、充実していった。普通出しの前山の屋根は二手先枓栱で桁を支えるが、旧上半田北組唐子車が一手先であったのであろうか、当旭車も一手先で受けているため、四天柱の間口は広くとれるものの、やや脇障子の幅が狭まる。しかし一方では前面の蟇股が広くとれて前山を引きたたせる。また、尾垂木にも彫刻を施したり、台輪の前方も木鼻に加工するなど、各種の彫刻が巧みに調和している。

前山県魚の”鵺の巣篭り”や前山紅梁の龍の浮彫りは肉厚のある重厚な彫りで、初代彫常の中でも傑作の一つである。

諏訪の立川和四郎富重は甥の常蔵昌敬とともに何度も来半しているが、弘化3年(1846)には上半田北組の唐子車と南組福神車に彫刻を入れている。富重と富昌は共同の作が多いが、当旭車の場合は、壇箱が富昌、また脇障子が昌敬によって彫られた可能性が強い。

大幕には緋羅紗の無地で縁取りがある。後幕は金銀糸による”旭車”の刺繍、追幕は緋羅紗地に太陽と波の刺繍、水引は緑地に白鶴の刺繍がそれぞれ施されている。


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