第10輌:中切組力神車:亀崎地区:半田市 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

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第10輌:中切組力神車:亀崎地区:半田市

半田市 亀崎地区 中切組力神車尾張の山車まつり 管理人novaさま ご提供

祭礼日
5月3、4日
見所
海浜への山車の曳き下ろし
調子のよい 軽快な祭り囃子
創建年
天明以前
現車は文政9年 建造
主な彫刻
壇箱 「海棠に親子鶏 力雄神 力雌神」(立川和四郎富昌)
脇障子 「張子房乗龍 黄石公馬上」(立川和四郎富昌)
持送り 「立波に千鳥ー透彫り」(立川和四郎富昌)
大幕 巌・竹に虎 巌・松に虎
追幕 緋羅紗地に翁の面刺繍
水引 羅紗地に青色濃淡の刺繍と薄茶色濃淡の龍文様の縫いつぶし

半田博物館 展示解説より

潮干祭りについて

  • 毎年5月3・4日の2日間に行われる
  • 5輌の山車を曳き廻す
  • 各山車は、素木彫刻や幕等の装飾を施し、県指定文化財である。

山車について

  • 創建年代は定かではない
  • 現在の山車は、文政年間に諏訪の立川一門が彫刻を手懸け、ほぼ現在の形になった。
    (この時の記録として、『山車彫刻仕用帳并金銀請取留』が、中切組に保存されている。)

cf:『山車彫刻仕用帳并金銀請取留』によれば
文政10年(1827)3月、2代目立川和四郎冨昌と冨昌の長女冨の夫である常蔵昌敬に発注し、総費用104両2分と祝儀6両2分合計111両で完成したことが記されている。

立川流について

立川一門は、18世紀頃から諏訪に居を置き各地の社寺の彫刻を手懸けた彫刻師

○初代富棟

江戸の幕府御用達建築彫刻師立川小兵衛富房の元で修行し、明和5年(1786)諏訪に帰り仕事をはじめた。安永9年(1780)には、諏訪大社秋宮拝幣殿を手懸け、文化元年(1804)には、静岡市浅間神社の建築工事に息子富昌を始め多数の弟子ともに加わった。この工事は、嘉永年間(1850年代)に完了した。

○2代目立川和四郎富昌

天明2年(1782)に富棟の長男として生まれた。彼は、建築彫刻の他、山車彫刻も手懸けた。建築彫刻は、長男富重、次男富種、長女富の夫、常蔵昌敬等多くの弟子とともに諏訪大社上社本宮宮拝幣殿、豊川稲荷などの社寺に彫刻を施した。

彫刻について

2代目立川和四郎冨昌

  • 蹴込 『牡丹に唐獅子』
  • 持送り 『立波に千鳥』>
  • 壇箱 『海棠に親子鶏・力雄神・力雌神』
  • 脇障子 『張子房乗龍・黄石公馬上』など

からくり人形について

  • 前山 猩々を舞う
    cf:猩々とは、能の曲名である。元来、中国の伝説を演じたものである。安政年間(1854~1859)5代目玉屋庄兵衛が製作した能装束の人形が、後ろ向きになった瞬間猩々の面を付け前を向き乱を舞い能の一場面を演じる。
  • 上山人形 面かぶり
    大正13年 6代目玉屋庄兵衛製作の浦島太郎の話を演じる
    cf:尾張名所図会小治田之真清水に描かれている力神車の上山には、2体の唐子を飾っている。このからくり人形は肩車をし、上の人形が梅の木の枝に宙吊りになったということである。

幕について

  • 大幕 向かって左側は、巌・竹に虎 右側は巌・松に虎(越前守岸駒の下絵)
  • 後幕 松に虎の刺繍
  • 追幕(見送り幕) 緋羅紗に翁の面刺繍
  • 水引 羅紗地に青色濃淡の地繍と、薄茶色濃淡の龍文様の縫いつぶし。

吹き流しは、上部に白線、下部に桐、鳳凰の刺繍。

半田博物館発行「からくり」より

上山人形『浦島』

尾張名所図会小治田真清水に描かれている力神車の上山には、二体の唐子がある。このからくりは、時計の脱進装置を付け、肩車をし、梅の枝に宙吊りになった。
現在の人形は、浦島太郎の話を演じる面かぶりである。大正十三年、六代目玉屋庄兵衛の製作。

前棚人形『猩々』

 このからくりは、後向きになった瞬間に猩々面をかぶる仕掛けが特色である。安政年間、五代目玉屋庄兵衛の製作。




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