第13輌:東組宮本車:亀崎地区:半田市 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





第13輌:東組宮本車:亀崎地区:半田市

半田市 亀崎地区 東組宮本車尾張の山車まつり 管理人novaさま ご提供

祭礼日
5月3、4日
見所
海浜への山車の曳き下ろし
調子のよい 軽快な祭り囃子
創建年
文政5年以前
現車は元治2年 建造
主な彫刻
壇箱 「龍に虎」(瀬川治助重光)
脇障子 「獅子の谷落とし」(瀬川治助重光)
持送り 「唐草」(作者不明)
大幕 緋羅紗地に宝珠玉の金刺繍 
追幕 緋羅紗地に七陽星の金刺繍
水引 白地に七五三縄の金刺繍

半田博物館 展示解説より

亀崎潮干祭について

  • 毎年5月3、4日 神前神社と尾張三社
  • 5輌の山車を中心に神楽やからくり奉納などが祭礼規約に従い進められる。
  • 起源は定かではない

cf:地元伝承
『応仁・文明(15世紀後半)』の頃、18軒の武家が当時寺浦(現寺山)に移住し稲生・神谷・岩本の姓を名乗り、年の進むにつれて人口も増加して、彼等の発起で、荷車様の物に笹竹を立て神官の指示により神紋の巴の紋章を付けた幕を張り、囃子を入れて町内を曳き廻したのが山車の起源である』これが宮本車であると言われている。
cf:弘化年間に描かれた『尾張名所図会、小治田の真清水』には、5輌の山車が砂浜を行く潮干祭りの様子が描かれている。

  • 海より祭神が上陸したという伝説から、5輌の山車を砂浜へ曳き下ろし、横列に並べ、再び陸へ曳き上げるというように勇壮なものである。
  • 昭和34年の伊勢湾台風により甚大な被害を受け、翌年、堤防と国道の完成により浜辺への曳き下ろしは中止された。(以降 復活したのはいつか調べておきます)

旧車について

  • 旧車は、元治2年(1865)に碧南市鶴ヶ崎へ譲渡
  • 虹梁の龍 早瀬長兵衛(6代目吉政と思われる) 文政5年(1822)
  • 『尾張名所図会』に描かれている山車と思われる。

現車について

  • 元治2年(1865) 建造

からくり人形について

亀崎のすべての山車は、神社の境内において、前山人形と上山人形の舞を奉納する。

  • 東組は、宮本車であるため、前山において、かくれ三人遣い三番叟を操る。
  • 上山人形は、『湯取り神事』
  • 現在の人形は、荒川宗太郎 製作(昭和7年)

cf:『尾張名所図会小治田之真清水』に、五輌の山車の先頭を行く山車の上山に、神官と巫女と思われる二体の人形が描かれている。

彫刻について

○瀬川治助重光 元治2年(1865)

  • 脇障子 『獅子の谷落とし』
  • 前山蟇股 『鵺退治』

○初代彫常(新美常次郎) 大正11年

  • 蹴込『群亀舞』

○早瀬長兵衛(8代目)

  • 前山四本柱 堆朱で線彫りの『昇龍降龍』

幕について

  • 大幕 緋羅紗に宝珠の金糸刺繍
  • 追幕 緋羅紗に七曜星の金糸刺繍と撚糸(白、水色、濃紺)の刺繍
  • 水引 白羅紗に七五三の注連縄の刺繍

cf:吹流しの頭の部分は、江戸時代の尾張藩付家老犬山城主成瀬隼人正より十万石大名の格式を東組の山車にもたせたと伝えられる。

半田博物館発行「からくり」より

上山人形『湯取神事』

尾張名所図会小治田真清水の中に潮干祭が描かれており宮本車の上山には、神官と巫女と思われる2体の人形がある。現在の人形は昭和七年、荒川宗太郎の制作。 

前棚人形『三番叟』

現在の人形は、昭和30年、日下浄雲の製作。




コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

このコメント欄の RSS フィード TrackBack URI

コメントをどうぞ