私の祭☆記録


第5輌:義烈組八幡車:岩滑地区:半田市

第5輌:義烈組八幡車:岩滑地区:半田市

祭礼日
4月中旬の土日
見所

新美南吉の童話の中で紹介されたお祭りがコレ!

創建年

天明元年以前
現車は喜永2年 建造
大正7年から8年間かけて大改造

主な彫刻
  • 壇箱 「猪と仁田四郎 虎と和藤内十二支」(出羽看龍)
  • 脇障子 「節分の図」(出羽看龍)
  • 持送り 「角つなぎ」(初代彫常)
  • 大幕 緋羅紗地に親子龍の刺繍
  • 追幕 緋羅紗地に竹・虎の刺繍
  • 水引 緑地に群鳩飛翔の刺繍

半田博物館 展示解説より

岩滑は、北部を阿久比と接する位置にある。

祭礼について

  • 祭礼は、毎年4月の第二土曜日、日曜日の2日間
  • 八幡社において、からくり三番叟、神楽、巫女の舞等の奉納と町内曳き

祭礼の歴史について

  • 天明元年(1781)には山車の祭礼が行われていたようだ。

cf:『年々六月十日ハ疫神祭礼相勤八月十五日ハ往古より当社八幡宮之御祭礼右両度共ニ山車并俄狂言執行到来リ候』(中組(義烈組)若連中からの口上書より 天明元年 1781)

  • 江戸時代には中組、西組、東組の3組に分かれていた。
  • 明治に入り中組と東組が合併し義烈組になった。

若衆組織について

  • 初午がくると、その年に15歳になる者は、半強制的に入組して若衆となった。
    (披露して酒二升を納めることになっていた。)((義烈組規則書より))
  • 入組して27歳までが若衆、28歳以上は年寄
  • 入組してから山車楫棒にとまれるまでの2~3年は、見習いとして小若衆

cf:明治30年から、昭和33年までの組員の入組時の連盟血判帳が、宝暦4年の『申合一礼之事』、明治25年改正の『総則』、年代不詳の『義烈組組規約』とともに綴られ保管されている。

山車について

  • 嘉永2年(1849)に造られたといわれる。
  • 大正2年4月3日半田町の石堂喜市に改築を依頼し現在の形になった。

彫刻について

  • 出羽看龍(半田市で唯一) 壇箱『猪と仁田四郎、虎と和藤内、十二支』、脇障子『節分の図』
  • 尾張藩御用彫師早瀬長兵衛 蹴込『子供獅子舞図』
  • 初代彫常 前山蟇股『鉄拐仙人、蟇仙人』

幕について

平成5年度、山車改修事業として、一新

  • 赤フェルト地に、『親子龍』の刺繍
    (静岡県大須賀町三熊野神社の『子持ち龍』 参考)
  • 追幕 『竹に虎』
  • 水引 『群鳩飛翔』

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