半田のからくりの生まれ
鬼頭 秀明 先生の文章を 私なりに読み込んでみました。
山車からくりのはじめ
尾張のからくり人形の歴史は『大山』『車楽(だんじり)』という、
初期山車文化の頃から始まる。
熱田、津島の『大山』が有名だったが、明治以降途絶えてしまった。
その後、慶長15年(1610)より 山車からくり文化が栄える。
当時の大山からくり人形は
立居人形(=神の化身)を、『手』と『首』だけ動くようにした
簡単な滑車仕掛けのものだった。
この大山からくり人形の下地があったおかげで
上方から新しい技術が伝わってきても
容易に取り入れ、独自に改良を進められた。
城下町の名古屋三大祭り(東照宮、若宮八幡社、三の丸天王社)と
ともにからくりは 発達。
☆東照宮にて
元和6年(1620) 名古屋で初めて山車からくり『橋弁慶』が乗る。
当時は 屋根のない1層の山車であった。
(万治元年(1658)に二層外輪の『名古屋型』の山車が登場してくる)
尾張地方の山車の構造
①名古屋型=二層
大将人形と呼ばれる手と首だけが動く人形=後身体的な意味をもつ(大山以来の伝統)
②犬山型=三層
③知多型=二層
②も③も 唐破風を四本柱で支えて 主役のからくりの踊る舞台とする。=前壇

