成岩町史 壱 言伝え編 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





成岩町史 壱 言伝え編

半田市は昔 亀崎町・半田町・成岩町という地区に分かれており
それぞれ産業が盛んでありました。

当時の成岩町は、今の西成岩・板山も含めた地区だったそうですが、話は、さらに昔の成岩村だった頃までさかのぼります。

南組近辺、今の東組や西組の辺り(『馬場』:ばんば)は ほとんどが海でした。
(『成岩神社』の東側に『波寄神社』という小さな社があります。そこまでが浜)

『成岩神社』を中心とする商いが盛んで、成岩の人口は『北村』にほぼ集中しており、
その頃から『大獅子小獅子の舞』があったそうです。
北村から見て 南の村ということで『南組』になったと思われます。

今の『南憩いの家』は、『成岩神社』とほぼ同じ高さにあり、海ではなかったようです。

神戸川をはさんだ馬場には『成岩城』があり、その馬場だったことから
東組・西組の地域を馬場と呼んだわけですが、
その『成岩城』を見張る場所として、『とりで観音』があったとされています。
この『とりで観音』けっこう大事なポイントになってくるような気配あり。

宝暦2年に初めて成岩神社に、現・南組南車創建とされています。つまりは宮本車ね。

その後、開拓を重ね、人が移住し、南組にも馬場にも人口が増えてきました。
大正になって、北村、東馬場、西馬場が山車を持つようになり、現在の成岩3・4区の祭礼になりました。

北村は十分に人口と資金が揃っておりました。
彫刻は、高価な紫檀や黒檀、欅を使った彫常の作品ですが、
当初の予算をはるかに超えてしまい、幕にまで資金が回らず、布、だったような気がします。
今のすばらしい『獅子と牡丹』の大幕はごく最近のものです。
(っていっても、二十年くらい前かな)

本当にすばらしい彫刻の色。他所組ながら、惚れ惚れします。
(メモ書き程度で失礼)




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