名古屋城 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





名古屋の祭のはじまり

名古屋のはじまり

清洲城と名古屋城の位置
徳川家康が作った城 名古屋城ができたことが、名古屋が大きな発展をする始まりとなりました。徳川家康は、関が原の戦いの後、豊臣方の残存勢力と西国の大名たちを抑えるため、清洲城に第9子義直を送りましたが、清洲は水害が多く、城下町の建設に適さないと判断し、海陸の連絡に便利な那古野の地に、慶長15年(1610年)名古屋城を建設したそうです。これに伴い清洲の士民が現名古屋市に移り住み(清洲越し)、市街地が出来ました。

祭文化が大発展

名古屋の祭りのはじめとして 名古屋三大まつり というものをご紹介します

①東照宮

東照宮といえば、全国各地にあります。なかでも日光東照宮は、大変有名ですね。
東照宮とは、徳川家康を御祭神としている神社のことを言います。
今回取り上げます東照宮祭というのは、三の丸天王社傍らに建てられた(元和四年〜五年 建造)東照宮のお祭りのことを指します。
当時の三の丸天王社も東照宮もありませんが、明治初期に丸の内に移され、城内に鎮座していた当時と同様に現在も並んで鎮座しています。名古屋最大の祭で、戦前までの名古屋祭りといえば この東照宮祭を指していました。元和四年 家康の三回忌にあたる年の四月、初めて東照宮に練り物が出されたようです。また翌年、元和五年(1619)には能人形の乗る車が曳かれ、さらに翌元和六年(1620)には、からくり人形を載せた橋弁慶車が登場し、万治元年(1658)には現在の名古屋型の原型が現れたとされています。

現在の名古屋城周辺の様子 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 より
東照宮祭で曳かれていた山車は9輌

  • 七間町(1620)…橋弁慶車
  • 和泉町(1652)…雷電車
  • 桑名町(1658)…湯取車(現・東区筒井町湯取車)
  • 本町(1658)…猩々車
  • 中市場町(1704)…石橋車
  • 京町(1707)…小鍛冶車
  • 上長者町(1732)…二福神車
  • 伝馬町(1733)…林和靖車
  • 宮町(1756)…唐子車

宝暦6年に、9輌が揃いました。戦争で焼失してしまい、現存しているのは、桑名町の旧車 湯取車(現・東区筒井町湯取車)のみです。

②若宮八幡宮

大宝年間(701〜704)に 三の丸に創建、延喜年間(901〜923)に再興といわれています。
天文元年(1532)に社殿を焼失、天文8年(1540)再建されました。
慶長15年(1610)の名古屋城築城の際に現在地 中区栄に遷座。祭礼の始まりは、延宝二年(1674)に黒船車などの山車が登場し、明和9年(1772)までに山車7輌が揃いました。しかし、戦争で焼失してしまった山車や、若宮から離れてしまった山車もあり、現在では福禄寿車(延宝四年(1676))を残すのみとなりました。

③三の丸天王社(現那古野神社)

近世(1568〜1853)の名古屋の町が形成される以前から車楽があったとされています。文政年間には車楽に献燈する目的の見舞車が登場しました。

徳川宗春(尾張七代藩主)によって祭文化が大きく発展したそうです。詳細はこちらまた他にも熱田の大山など、各地で現在の祭の原型となるものがあったそうですが、戦争によって焼失したり、途絶えたりしてしまいました。


名古屋型の山車(名古屋型ってどんな特徴のことをいうの?)

構造の特徴

まず、特徴としては二層構造であることです。 また上山の屋根を細い四本柱で支えています。 あれ?これじゃ知多型も同じですね。いいえ、特に二層目に注目してください。なんと人形が乗っています。これがすべてからくり人形になっているのです。
東区筒井町神皇車東区筒井町湯取車東区筒井町湯取車東区筒井町神皇車
名古屋の山車の一番の特長はからくり人形を見せるために適した造りになっていることなんです。観やすい高さ、からくり仕掛けの屋根の昇降等。これは名古屋城の門をくぐるために考案された仕掛けです。

前後筒抜けになっています。また山車の側面は、開いており、風通しがよくなっています。人が乗る部分については1.5メートルほどの横幅があり、大人3人が並んでも余裕の広さがあります。
山車の大きさは町の道幅で測ることが出来ます。名古屋でも本町筋の福禄寿車は山車が大きいのに対し、花車の山車は細い路地も曳く必要あるため小振りです。

楫の特徴

東区出来町王義之車東区筒井町湯取車
輪が外側についています。そのままむき出しでは人を巻き込む恐れがあるので、枠(輪懸)も付いています。また、外側についている理由としては、楫の取り方にも特徴があることを示しています。

この棒(テコ)を持っている人たちも、楫を取るのに重要な仕事をします。

楫方は、前楫につきます。梶棒一本につき4人の合計8人で担ぎ上げます。楫方が担ぎ上げ、腰周りがテコ棒で輪を送ったり(前へ回転させる)輪を引いたり(後へ回転させる)して山車を回転させます。いかに美しく綺麗にそして優雅に、障害物に当てずに向きを変えられるかがポイントのようです。

山車前方を担ぎ上げるので、山車が傾きますよね。その状態で向きを変えていくので、車輪は外側についているほうがより安定するというわけです。また、先述の通り、名古屋城下の道幅は広いので幅の広い外輪の山車が建造できたであろうと考えられます。

楫については、特に見所だと思います。方向転換をするたびに、見入ってしまいます。数は少ないイベントですが、独りで山車を担ぎ上げ、楫方(切師)の力自慢を見せる「力持ち」は名古屋おとこの一番の見せ場だと思います。また、180度回転する「どんてん」や、270度回転する「半八重」、450度以上(一周以上)回転する「本八重」も稀に見ることができます。
名古屋の祭では、津島や横須賀のように何周も回転する「車切」や「どんてん」は見ることが出来ません。どこかで「スーパーどんてん」という言葉を耳にしたこともありますが、正体なんでしょうね