山車百輌総揃え | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





第18輌:北組唐子車:下半田地区:半田市

半田市 下半田地区 北組唐子車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
知多半田駅前 JR半田駅前 AVIX前など 見所まんさい!
創建年
創建年 寛政年間以前
天保8年に 大改造
主な彫刻
壇箱 「唐子遊び」(立川常蔵昌敬)
脇障子 「手長足長」(立川常蔵昌敬)
持送り 「角つなぎ」
大幕 緋羅紗地に猩々 瓢箪から駒の刺繍
追幕 金襴の縁取り
水引 青羅紗地に群鳩飛翔の刺繍

半田博物館 展示解説より

元文4年(1739)5月、半田村から寺社奉行に差し出した文書には次のように書かれている。『八幡宮祭礼八月十五日警固笠鉾弐母衣五つ山車三輌一輌は獅子頭一鼓乗せ一輌は唐子一輌は恵比寿祭村中より社前迄引渡し右社同村七良平支配』
この文書にある唐子一輌とあるのが、北組の唐子車ではないかと思われる。その後文政5年(1822)の八幡社由緒にも宵祭りの御神幸の儀式を中心に、三番叟、子供神子舞、獅子舞、笹踊り、俄狂言などの芸能とともに山車三輌も奉納されていたことが記されており、18世紀から続く祭礼の伝統の一端を知ることが出来る。
『唐子車』の名は、壇箱(前壇)に彫られた唐子の彫刻によるものであるが、北が『子』の方角であることとも関連付けられる。
現在の山車は天保8年(1837)に大改造がなされたと言われているが、上山高欄より上部には全体に塗りが施されていること、上山四本柱が角柱であることなど、天保期以前と思われる古い要素をとどめている。脇障子や壇箱の彫刻に合わせて天保8年に前山部分を改造したものと推定される。
『唐子車』が他の山車と異なる点に台輪がある。一般には平台和は両妻を切り落として兜金をつけたり、木鼻を雲形、唐草形、象形などに加工したりするのであるが、この唐子車は外側と内側に波形彫刻があり、内側ではその一部を削り取って妻台輪をつけ、その一部は妻台輪奥にまで及んでいる。これは平台輪が当初からこの山車のために作られたものではなく、他から転用していることを示している。波形があるから船の部材ではないだろうかと言われているが、材料が欅であり、社寺の虹梁として用いられた可能性も強い。
主要彫刻の脇障子の『手長足長』と壇箱彫刻の『唐子』は立川常蔵昌敬の作である。
立川常蔵昌敬は諏訪の住人立川和四郎富昌の娘婿で、富昌の片腕ともなった弟子である。享和2年(1802)現長野県諏訪市湯小路に生まれ、富昌について腕を磨いたが、昌敬の最初の作品とされるのが文政4年(1821)に彫った豊川稲荷客殿の彫刻だと言われる。この唐子車の彫刻は天保9年(1839)のもので、昌敬が37歳の時のものである。
蹴込の『獅子に牡丹』太平鰭の『雲に麒麟』前山懸魚『鳳凰』などはすべて新見常次郎(彫常)一門の作であるが、蹴込の籠彫りは上半田北組のそれと並んで彫常一門の傑作とされている。
水引は青羅紗地に『群鳩飛翔』の刺繍で、下絵は松村景文のものである。
また、前山のからくり人形は三番叟であるが、面は隅田仁兵衛の作である。
大幕は緋羅紗地に猩々、瓢箪から駒の金刺繍である。


第17輌:奥組旭車:岩滑新田地区:半田市

半田市 岩滑新田地区 奥組旭車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
新美南吉記念館での 岩滑地区との4台揃い
創建年
大正5年
平成2年に幕を新調する
主な彫刻
壇箱 「天之岩戸」(初代堀常)
脇障子 「高砂」(初代堀常)
持送り 「力神」(初代彫常)
大幕 緋羅紗地に「ごんぎつね」「おじいさんのランプ」の刺繍
追幕 緋羅紗地に波・「奥」の文字の刺繍
水引 緑地に群鳩飛翔の刺繍

半田博物館 展示解説より

岩滑新田は半田市の北西部に位置し、西は常滑市、北は阿久比町に接する農業地域である。
延宝9年(1681)岩滑村として開発された。

祭礼について

  • 毎年4月上旬 町内曳き、氏神である神明社への神楽やからくり三番叟

山車について

  • 青年会の要望により宮津の大工岡戸峰二郎に依頼し山車を新調のが始まり(大正5年)
  • 下半田の初代彫常(新美常次郎)に依頼した。
  • 平井組を招待し、上棟式を執行(大正5年4月1日)
  • 平井組の役員12名は、礼服を着、祝金2万円を持参して参列したそうである。

cf:この年から平井、奥組2輌の山車を曳き廻すようになり、昭和28年まで行なわれた。これ以降中断され、昭和52年に再開し現在に至っている。

からくり人形について

  • 前山からくりとして三番叟がある。
  • この地区では宮本車以外の山車においてからくり三番叟の舞を奉納する。

彫刻について

  • 初代彫常作の持送り『力神』、壇箱『天之岩戸』、脇障子『高砂』、前山蟇股『龍』、太瓶鰭『神功皇后』、前山懸魚『鶴』等

幕について

  • 大幕、追幕、水引、吹流し一式を京都の川島織物において新調(平成2年4月)
  • 追幕、水引には、刺繍を施した。

第16輌:平井組神明車:岩滑新田地区:半田市

半田市 岩滑新田地区 平井組神明車

祭礼日
4月中旬の土日
見所
新美南吉記念館での 岩滑地区との4台揃い
創建年
大正4年
現車は大正7年に 新造
(旧車は大正4年に阿久比の大工横松新助から購入し3年使用後、下半田東組に譲渡。後に南知多大井浜組に譲渡、現存している)
主な彫刻
壇箱 「神武天皇蝦夷征伐」(初代堀常)
脇障子 「須佐之男命 稲田姫」(初代堀常)
持送り 「波に千鳥」(初代彫常)
大幕 緋羅紗地に玉取姫と龍の刺繍
追幕 緋羅紗地に鳳凰と雲の刺繍
水引 濃緑羅紗地に雲鶴の刺繍

半田博物館 展示解説より

神明社について

  • 神明社は、元禄4年(1691)天照大神を祭祀としたのが始まりとされる。
  • 明和9年(1772)本社を改造、その後社殿を拡大し、大正7年村社になり現在に至っている。

祭礼について

  • 毎年4月上旬 町内曳きと神明社への神楽やからくり三番叟の奉納

山車組の歴史について

  • 青年会によって金180円で阿久比横松大工新助から買い求めたとされる(大正4年8月)
  • 岩滑義烈組から神楽を習いその謝礼として金10円を贈った
  • 上棟式を行い、岩滑義烈組、西組、岩滑新田奥組を招待している。(大正5年)
  • 名古屋の6代目玉屋庄兵衛から、金15円でからくり三番叟を購入(大正5年)以降、三番叟舞を奉納。
  • 平井組総会で山車新調が決定し、江原芳衛に金1、080円で依頼(大正6年)
  • 初代彫常に彫刻を依頼(大正8年) 

現在に至る

cf:平井組には、嘉永元年(1848)から明和にかけての若者組について記された『若イ者永代記』が保存され、当時の祭礼の様子を知る手がかりになる。

彫刻について

  • 壇箱『神武天皇』、脇障子『須佐之男命』、『稲田姫』、蹴込『長鳴鶏』等

幕について

  • 大幕、追幕、水引、吹流し一式を京都の川島織物より購入(平成2年4月)
  • 大幕 緋羅紗地に玉取姫と龍の刺繍
  • 水引 濃緑羅紗地に雲鶴の刺繍
  • 追幕 緋羅紗地に鳳凰と雲の刺繍

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