成岩地区 | 南組南車michyウェブサイト「私の祭記録」 -祭・山車・囃子情報、各地の山車祭リポート-

michyが所属する南組南車は、宝暦二年 成岩町(現・半田市成岩地区)に初めて創建された山車です。今から、250年以上の歴史ある山車、山車組に関連する情報を中心に、各地の山車祭情報を発信する個人管理のページです。あくまで個人的に製作したものなので、南組とは一切関係ありません。





第4輌:東組旭車:成岩地区:半田市

半田市 成岩地区 東組旭車 半田 協和 加藤様より

祭礼日
4月第2土日
見所
成岩神社への打ち込み
善六角の出会い・曳き別れ
創建年
弘化3年
大正11年 上半田北組から譲渡された山車を改造して現在に至る(立川和四郎富昌の彫刻作品は残して)
主な彫刻
壇箱 「唐子遊びと鶏」(立川和四郎富昌)
脇障子 「鉄拐仙人・蟇仙人」(立川和四郎富昌)
持送り 「龍」(初代彫常)
大幕 緋に三玉の亀の刺繍
追幕 波に日の出の刺繍
水引 濃緑地に鶴の金刺

半田博物館 展示解説より

大正11年より上半田北組より山車の譲渡を受け、以後祭礼に山車を加えることとなった。しかし、上半田北組の旧車は弘化3年(1846)の建造であるため、その後まもなく立川和四郎富昌の壇箱彫刻”唐子遊びと鶏”、脇障子彫刻”鉄拐仙人・蟇仙人”等 数点をはずし、改造した車体にそれらを取り付けた。その後更に初代彫常こと新美常次郎によって前山蟇股の”恵比寿・大黒”、持送りの龍などが追加され、充実していった。普通出しの前山の屋根は二手先枓栱で桁を支えるが、旧上半田北組唐子車が一手先であったのであろうか、当旭車も一手先で受けているため、四天柱の間口は広くとれるものの、やや脇障子の幅が狭まる。しかし一方では前面の蟇股が広くとれて前山を引きたたせる。また、尾垂木にも彫刻を施したり、台輪の前方も木鼻に加工するなど、各種の彫刻が巧みに調和している。

前山県魚の”鵺の巣篭り”や前山紅梁の龍の浮彫りは肉厚のある重厚な彫りで、初代彫常の中でも傑作の一つである。

諏訪の立川和四郎富重は甥の常蔵昌敬とともに何度も来半しているが、弘化3年(1846)には上半田北組の唐子車と南組福神車に彫刻を入れている。富重と富昌は共同の作が多いが、当旭車の場合は、壇箱が富昌、また脇障子が昌敬によって彫られた可能性が強い。

大幕には緋羅紗の無地で縁取りがある。後幕は金銀糸による”旭車”の刺繍、追幕は緋羅紗地に太陽と波の刺繍、水引は緑地に白鶴の刺繍がそれぞれ施されている。


第3輌:西組神車:成岩地区:半田市

半田市 成岩地区 西組神車

祭礼日
4月第2土日
見所
成岩神社への打ち込み
善六角の出会い・曳き別れ
創建年
大正14年
昭和23年 修復
主な彫刻
壇箱 「薬湯の図」(初代彫常)
脇障子 「烏天狗と仙人」(初代彫常)
持送り 波に神字の浮彫り(初代彫常)
大幕 緋羅紗地に風神・雷神と雲の刺繍
追幕 緋羅紗地に唐獅子と牡丹の刺繍
水引 白灰色羅紗地に池上に龍の金刺繍

半田博物館 展示解説より

神車は大正年代に成岩北組成車を譲り受け、昭和22,23年に大改装を加え、さらに昭和56年に大幕・追幕を新調現車となった。

彫刻は初代彫常こと新美常次郎と、二代目彫常新美茂登司の手に成るものである。壇箱の『薬湯の図』 蹴込みの『大江山酒呑童子』脇障子の『烏天狗』など、彫刻としては独創的な彫刻が多い。その他前山蟇股の『弁慶の勧進帳』、字送りの『波に神字の浮き彫り』など、爛熟した彫常ならではの作品といえよう。特に猫足などの細かい彫刻群にも目を見張るべきものがある。

半田型の山車は繊細な彫刻で覆われていることも特色であるが、山車の各部で使用される材がほとんど一定していることも特色といえる。例えば前山や上山の唐破風は欅の玉目、屋根は桐、台輪は欅、前山は紫檀、黒檀、黒柿などで、彫刻の大部分は欅である。輪は黒松の輪切りであるが、最近は入手難からブビンガなどの洋材を持ちいらざるを得なくなっている。梶棒は桧であるが、丸太を心から二つ割にして芯の方が内側に来るように2本作るのが一般的である。


第2輌:北村成車:成岩地区:半田市

半田市 成岩地区 北村成車

祭礼日
4月第2土日
見所
成岩神社への打ち込み
善六角の出会い・曳き別れ
創建年
大正13年
主な彫刻
壇箱 「元寇」(初代彫常)
脇障子 「元寇」(初代彫常)
持送り 三ツ巴浮彫り(初代彫常)
大幕 緋羅紗地に牡丹・唐獅子の刺繍
後幕 成車の金刺繍
追幕 緋羅紗地に鷹・松の刺繍

水引 濃緑地に鳳凰の刺繍

半田博物館 展示解説より

成岩神社の祭礼に曳き出される山車は四輌である。成岩神社に最も近い宮本である南組が、初めて山車を建造したのが宝暦2年(1752)であり、当初祭礼に曳き出される山車は1輌であった。嘉永2年(1849)の『本成岩神事祭礼』によると、北村・南・西馬場・東馬場の四組があり、うち南組は山車、他の三組は獅子舞を奉納したようである。北組の『大獅子・小獅子の舞』は格調高く現在も継承されており、県指定無形文化財となっている。幕末から明治にかけてのことは不明な点が多いが、現在のように四輌のだしがそろったのは大正年間で、成車が建造されたのは大正13年のことである。

一般に山車彫刻は長い年月をかけて徐々に入れるものであり、完成までに数十年を要するが、成車は一気に建造しているため、全体の調和がよくとれている。特に、彫刻は初代彫常(新美常次郎)の最も充実した作品が入っており、上半田北組唐獅子車、下半田中組祝鳩車などと並んで彫常の代表作の一つとされている。主要彫刻の図柄は時代を反映して壇箱、脇障子、前山蟇股等『元寇』の図柄で統一されているが、細部には『牡丹に唐獅子』等の伝統的なものもある。彫刻はすべて紫檀、黒檀、鉄刀木、欅などの唐木を用い、持送りの巴には18金を使うなど、贅を尽くしている。

幕類については、吹流しを除いて昭和57年に新調、面目一新した。


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