第8輌:浅井山宮本車:乙川地区:半田市
- 祭礼日
- 3月下旬の土日
- 見所
- 八幡社境内の豪快な坂上げ 坂下ろし
- けんか祭りの異名あり!
- 創建年
- 現車は安政6年 建造 昭和25年に 大改造
- 主な彫刻
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- 幕
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半田博物館 展示解説より
乙川村祭礼山車絵図について
- 宝暦5年(1755)
- 乙川八幡社に保存されている。
- 先頭は獅子、その後に神輿(みこし)とそれと供奉して神主、二人の庄屋、組頭が四人、差樽とつづき、その後に4輌の山車がくる。
- この行列は、山車は神輿の警固(警護)であることを示している。
- 乙川村では宝暦2年(1752)正月に祭礼の法式を改革して『定』を作成している
『定』・『祭礼定日之事』として
『唯今之通正月十五日十六日若雨天亦ハ如何様之指支出来仕候ハヽ指延シ置始楽本楽両日急度相勤可被申被』とある。乙川村の祭礼の定日は旧暦正月十五日、十六日であった。絵図に描かれた4輌の山車の先頭を行くのが浅井山宮本車である。上山には『小鳥丸夢の助太刀からくり人形』を乗せている。宮本車というのは、地縁によって分割した山車組の地域の中に氏神が所在地を含まれている場合に付けられる名称である。従って巡業の際は山車の先頭を行き、前山で三番叟を奉納する。
浅井山宮本車の壇箱彫刻『竹林七賢人』は安政6年(1859)に立川和四郎富重が彫ったものである。脇障子の『牛若丸烏天狗』前山懸魚『牛若丸烏天狗』はともに地元乙川の彫師である立川和四郎の弟子立川角三郎が安政6年(1859)に彫ったものである。持送りの力神は大正11年に蹴込みの『舟遊び』は昭和25年に初代新美常次郎が彫ったものである。