第12輌:石橋組青龍車:亀崎地区:半田市
- 祭礼日
- 5月3、4日
- 見所
- 海浜への山車の曳き下ろし
- 調子のよい 軽快な祭り囃子
- 創建年
- 元禄頃 現車は明治24年 建造
- 主な彫刻
- 幕
半田博物館 展示解説より
亀崎潮干祭りは、5輌の山車(東組宮本車・石橋組青龍車・中切組力神車・田中組神楽車・西組花王車)の曳き回しと神前神社、尾張三社への神楽やからくり奉納などを中心に行われる。
神前神社について
- 神前神社において年間を通して祭礼行事や神事が行われている。
- 神倭磐余彦命を祭神とし旧社格が県社であることから県社と呼称されている。
- 創建年代は定かではないが、『神武東征の際、湯貴首人という賊を討伐するため伊勢より当地東隅に突き出した岬へ上陸した。以後この岬を天神岬と呼ぶようになり、社を立てお祀りしたのが、同社である。』という伝承が地元にある。
- 現在残されている棟礼の中で、慶弔17年(1612)のものが最も古い。
- 江戸時代後期には、神前天神、亀崎神明と呼称された。
- 明治4年(1871)郷社に定められ明治18年2月神前神社に改称し同年7月、県社となった。
山車について
- 創建年代は、定かではない。
- 弘化年間刊行の『尾張名所図会・小治田の真清水』には、上山に『唐子遊び』のからくり人形を、前山に『布ざらし』のからくり人形を飾った青龍車が描かれている。
からくり人形について
- 『唐子遊び』 天保12年(1841)鬼頭二三 製作
2体の唐子が蓮台を図し、蓮台上で1体の唐子が逆立ちを行う離れからくりである。
(このからくりは、長く途絶えていたが昭和48年石橋組組員によって復元された。)
- 『布ざらし』 弘化2年(1845)竹田源吉 製作された越後獅子の一場面を演じる糸からくりである。
彫刻について
○8代目彫長早瀬長兵衛(木龍堂) 明治24年
- 持送り 『波』
- 台輪の木鼻
cf:彫長は、江戸時代6代目早瀬長兵衛吉政の時から尾張藩御用達彫師として藩の仕事を手懸けた。8代目元兵衛(木龍堂)の弟子には、初代彫常(新美常次郎)や明治39年脇障子『日本武尊、須佐之男命』を手懸けた伊藤則光がいた。
○竹内久一
- 壇箱 『風伯神雷電神』
- 蹴込 『石橋』
cf:竹内久一
明治時代の近代彫刻家であり東京美術大学教授である。
○初代彫常
- 前山蟇股 『七福神、恵比寿大黒、布袋』
- 太瓶鰭 『神功皇后』
- 前山懸魚 『子持龍』
幕について
- 大幕 紺地に波と龍の金刺繍
(以前は、白地であったが、平成元年旧山車の大幕を復元した。) - 追幕 緋羅紗地に梵語の詩文刺繍と金糸の駒取り繍
特記:前山四本柱は、明治24年川口門左衛門作の七宝焼き
半田博物館発行「からくり」より
上山人形『唐子遊び』
二体の唐子が蓮台を回し、蓮台の上で一体の唐子が逆立ちを行なう。天保十二年(1842)、鬼頭二三の製作。
前棚人形『布ざらし』
このからくりは、越後獅子の一場面を演じる。弘化二年(1845)竹田源吉の製作。
(写真提供:尾張の山車まつり 管理人novaさま)