第14輌:南組福神車:上半田地区:半田市
- 祭礼日
- 4月中旬の土日
- 見所
- 住吉神社に浮ぶ幽玄な「ちんとろ船」で舞われる 男形、女形の三番叟
- 創建年
- 天保13年 現車は大正11年に 新造(旧車は大正3年に 常滑市瀬木に売却)
- 主な彫刻
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- 幕
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半田博物館 展示解説より
上半田の祭礼は、住吉神社の例祭として、北・南の2組に別れ、規約に従い行われる。
北組には、明治34年(1901)旧暦3月16日定められた舟祭を運営する中老組合の規約が残されている。祭礼行事の運営組織として若衆組と中老組があった。若衆は、呼年15歳から25歳までの者で山車・子供三番叟を担当した。中老は呼年26歳から35歳までの若衆組経験者により組織され、舟祭り・花火を担当した。両組ともその規約は厳しく、特に年長者に対する礼儀、口論・喧嘩の禁止、年長者の指示に対する服従などが定められていた。若衆組には『若家』、中老組には、『船若家』と呼ばれる寄り合い場所が設けられた。『若家』では、山車に関する祭礼行事や、若衆の年中行事などの相談、『若家がわり』と称する次年度の『若家』を決定する会合等が開かれた。現在、両組織はなくなり、各年齢ごとに持ち回りで祭礼行事を行っている。
南組福神車、旧車から受け継がれてきた立川一門の彫刻を前壇と脇障子に施している。旧車は、前壇と脇障子の彫刻を残し、大正3年常滑市瀬木に売却された。創建年代は、常滑瀬木に残されている上山の皿天井の記銘から天保13年(1824)と思われる。
現在の山車は、大正11年江原留三郎が建造し、新美常次郎が彫刻を施した。
彫刻は、弘化3年諏訪の立川和四郎富昌作の壇箱『七福神』、福神車の名は、この彫刻に由来する。同年立川常蔵昌敬作の脇障子『崑崙坊人』、大正11年初代彫常(新美常次郎)作の持送り『力神』などである。大幕は、緋羅紗の無地、追幕は、緋羅紗地に白色の花鳥の刺繍、水引は、白地に松・鷹の金刺繍、下絵は、日本画家山本香雲の作である。