私の祭☆記録


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第22輌:砂子組白山車:協和地区:半田市

祭礼日
4月中旬の土日
見所
白山神社への坂上げ
創建年
明治年間 現車は大正3年建造 (旧車は亀崎石橋組から譲渡されたもの。武豊市原へ売却)
主な彫刻

      半田博物館 展示解説より

      白山神社の祭礼に曳き出されるのが、協和地区の砂子組白山車と西組協和車の2輌である。半田地区に接する協和地区は、近世に入って成岩地区の出郷(枝村)として発展した地区で、戦前までには『北荒居』(きたらい)と呼ばれていた。成岩本郷からみて北方にあるからであろう。

      白山車は宮本車であるが、山車本体は建造年代は不明であるが、彫刻が入って、現在の形が整ったのは大正2年である。

      蹴込みの浦島太郎、持送りの角つなぎ、五三の桐、壇箱の三国志演技などの主要彫刻は初代新美常次郎の作であるが、前山懸魚の籠は亀崎石橋組より譲り受けたもので、瀬川治助重光の作。上山高欄の水鳥は最近施したものである。その他は台輪を含めて、欅・紫檀・黒檀等の唐木を用いている。

      宮本車であるので、地元の小学生操り、三人遣い三番叟を演ずる。人形の持ち方は文楽人形に似ていて、主遣いが胴串と右手の扇子、左手遣いが胴枠と左手、足遣いが両足を受け持つ。囃子は上半田地区から伝承されたという。

      白山神社祭礼の見どころは、急坂を曳き上げて神社の境内へ曳き込む『坂の曳き上げ』である。両組の曳き手が互いに力を貸し合って、一気に坂を上る様子は極めて勇壮である。

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