鶴ヶ崎調査のきっかけ 2005年5月…日
2008年5月3日 追加
南組には 祭礼中、山車の中で演奏する『囃子』と『百度神楽』、月次祭(毎月一日)道行きに使う『吉浜』と(奉納用『神楽』がある後付された(であろう)字言と共に伝えられている
『鶴ヶ崎』という曲が消えてしまったということ…らしい
(後に分かることだが…消えてしまった曲は1曲だけじゃないんじゃないかーーー?という 話もチラホラ )
言い伝えによると
『鶴ヶ崎という曲は 月次祭の 戻り囃子として 使っていた』 そうな
『隣の’雷囃子’のような軽快な曲だった』 そうな
『何十年も前に 半田(雁宿)ホールで この辺りの 神楽・囃子連が集まって
交流会みたいなことをしたときに 鶴ヶ崎の人たちが来ていて
『うちに鶴ヶ崎という曲があります』と 話したことがあった』 そうな
『なんとなく…でも どうしても思い出せない…』 で悔しい思いで 亡くなっていった そうな
と 村の名士は 私に伝えてくれた
なんとか『鶴ヶ崎』を復活させたい!!! という名士の想いを胸に
私の鶴ヶ崎を探す旅 の はじまりはじまり~~~ぃ☆