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名古屋の祭のはじまり
2008年5月5日 追加
名古屋のはじまり
徳川家康が作った城 名古屋城ができたことが、名古屋が大きな発展をする始まりとなりました。徳川家康は、関が原の戦いの後、豊臣方の残存勢力と西国の大名たちを抑えるため、清洲城に第9子義直を送りましたが、清洲は水害が多く、城下町の建設に適さないと判断し、海陸の連絡に便利な那古野の地に、慶長15年(1610年)名古屋城を建設したそうです。これに伴い清洲の士民が現名古屋市に移り住み(清洲越し)、市街地が出来ました。
祭文化が大発展
名古屋の祭りのはじめとして 名古屋三大まつり というものをご紹介します
(1)東照宮
東照宮といえば、全国各地にあります。なかでも日光東照宮は、大変有名ですね。
東照宮とは、徳川家康を御祭神としている神社のことを言います。
今回取り上げます東照宮祭というのは、三の丸天王社傍らに建てられた(元和四年~五年 建造)東照宮のお祭りのことを指します。
当時の三の丸天王社も東照宮もありませんが、明治初期に丸の内に移され、城内に鎮座していた当時と同様に現在も並んで鎮座しています。名古屋最大の祭で、戦前までの名古屋祭りといえば この東照宮祭を指していました。元和四年 家康の三回忌にあたる年の四月、初めて東照宮に練り物が出されたようです。また翌年、元和五年(1619)には能人形の乗る車が曳かれ、さらに翌元和六年(1620)には、からくり人形を載せた橋弁慶車が登場し、万治元年(1658)には現在の名古屋型の原型が現れたとされています。
- 七間町(1620)…橋弁慶車
- 和泉町(1652)…雷電車
- 桑名町(1658)…湯取車(現・東区筒井町湯取車)
- 本町(1658)…猩々車
- 中市場町(1704)…石橋車
- 京町(1707)…小鍛冶車
- 上長者町(1732)…二福神車
- 伝馬町(1733)…林和靖車
- 宮町(1756)…唐子車
宝暦6年に、9輌が揃いました。戦争で焼失してしまい、現存しているのは、桑名町の旧車 湯取車(現・東区筒井町湯取車)のみです。
(2)若宮八幡宮
大宝年間(701~704)に 三の丸に創建、延喜年間(901~923)に再興といわれています。
天文元年(1532)に社殿を焼失、天文8年(1540)再建されました。
慶長15年(1610)の名古屋城築城の際に現在地 中区栄に遷座。祭礼の始まりは、延宝二年(1674)に黒船車などの山車が登場し、明和9年(1772)までに山車7輌が揃いました。しかし、戦争で焼失してしまった山車や、若宮から離れてしまった山車もあり、現在では福禄寿車(延宝四年(1676))を残すのみとなりました。
(3)三の丸天王社(現那古野神社)
近世(1568~1853)の名古屋の町が形成される以前から車楽があったとされています。文政年間には車楽に献燈する目的の見舞車が登場しました。
徳川宗春(尾張七代藩主)によって祭文化が大きく発展したそうです。詳細はこちらまた他にも熱田の大山など、各地で現在の祭の原型となるものがあったそうですが、戦争によって焼失したり、途絶えたりしてしまいました。