はんだ 村の発展
2008年5月3日 追加
人口
昭和12年に半田町・亀崎町・成岩町が合併し半田市となったのだが、成岩町自体も明治22年(1980)に町制をしかれたあとに作られた町であり、それ以前は成岩村とされ、贄代郷の常滑領に属していた。しかし、尾張誌(天保14年 1843)によれば、成岩村は本郷と「板山」「西成岩」「北荒井」の三枝邑を有すると記されている。
成岩村手鑑、半田市誌によれば、
- 寛文11年(1671)
- 戸数 365戸
- 人口 3063人
- 元禄6年(1964)
- 家敷 590軒
- 人口 3445人
現在の成岩3区のある場所はほとんどが海(下記参考)で、神社、南憩いの家、無量寿寺、波寄神社のライン沿いに浜であったため人は住んでいなかった。新田の改修により他からの移住者が増えた。
- 享保9年(1725)
- 家敷 760軒
- 人口 4208人
- 文政5年(1822)
- 戸数 1076戸
- 人口 4945人
- 人口12,938人
- 昭和8年
- 戸数 2771戸
- 人口12,938人
参考:武豊町字馬場から本町字保示田、内濱田、東西馬場から長沼、青木、天神田の一部、東西神田の一部、大畑、仲奥、蓮根、宮前の一部、西家下、南瀬古の一部、南家下、寺坊より中島に至る一帯の低地は昔は海水が浸入していたところである。(成岩町史より)
新田の開拓
明治23年にできた成岩町は、板山 西成岩・彦津 馬場・南組 北村 北荒居(現在の協和)の5区で区切られている。明治4年廃藩置県が行われた。