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半田のからくりの生まれ
2008年5月3日 追加
鬼頭 秀明 先生の文章を 私なりに読み込んでみました。
山車からくりのはじめ
尾張のからくり人形の歴史は『大山』『車楽(だんじり)』という、初期山車文化の頃から始まる。
熱田、津島の『大山』が有名だったが、明治以降途絶えてしまった。
その後、慶長15年(1610)より 山車からくり文化が栄える。
当時の大山からくり人形は、立居人形(=神の化身)を、『手』と『首』だけ動くようにした。
簡単な滑車仕掛けのものだった。
この大山からくり人形の下地があったおかげで、上方から新しい技術が伝わってきても容易に取り入れ、独自に改良を進められた。
城下町の名古屋三大祭り(東照宮、若宮八幡社、三の丸天王社)と、ともにからくりは 発達。
東照宮にて
元和6年(1620) 名古屋で初めて山車からくり『橋弁慶』が乗る。
当時は 屋根のない1層の山車であった。
(万治元年(1658)に二層外輪の『名古屋型』の山車が登場してくる)
尾張地方の山車の構造
- (1)名古屋型
- 二層
大将人形と呼ばれる手と首だけが動く人形=後身体的な意味をもつ(大山以来の伝統) - (2)犬山型
- 三層
- (3)知多型
- 二層
(2)も(3)も 唐破風を四本柱で支えて 主役のからくりの踊る舞台とする。=前壇