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からくりの技術発展
2008年5月3日 追加
鬼頭 秀明 先生の文章を 私なりに読み込んでみました。
上方から興行を専門にした『竹田からくり』の技術が伝わる。
享保16年(1731)頃
幕府より『質素倹約政策』が布かれていたにも関わらず 尾張七代藩主『徳川宗春』は 当時簡略化されていた東照宮祭礼を享保8年の頃の姿に戻したり、 芝居小屋や遊郭の設置を許可した
そのおかげで 尾張藩は 三都に勝る繁栄ぶりであった
…宗春の目に余る行動は 幕府から蟄居を命ぜられてしまう
が!!!
すでに名古屋には自由化されたときに各地より技術者が集まっていた。
その集団は 活躍できる時をじっと待ち、
後に名古屋独特な産業・文化が発達することとなる。
名古屋で生まれた人形たちは 全国各地に広く流れていく
名古屋とは異なる山車の形態の地方でも歓迎された
からくり人形は 主に『糸』と『サシガネ』を使っている。
- (1)糸からくり系
- 人形が通常の動きや舞などを行うもの
- (2)変身系
- 面かぶり、人体から祠や橋などに変化 袋から出現など
- (3)倒立系
- 倒立芸を演ずるもの
- (4)肩車・宙づり系
- 大木隅が小木隅を肩車し、小木隅が宙づりになるもの
- (5)特殊系
- 乱杭渡り、綾渡り、大車輪文字書きなど
『サシガネ』とは 人形が動くように特殊仕掛けのある棒
(1)糸からくり
(2)~(5)離れからくり
単独で芸を演じる、数種類のからくりを組み合わせて芝居まで演じるものもある。
…知立の人形芝居
…美浜の上野間 など
からくり人形は 毎年の祭礼で 同じ内容を奉納するが同じように操ることはできない
ここに 人々が愛し、飽きないところがある。